このサイトについて
メンバー紹介
高橋 昌希 Masaki Takahashi
2025年12月、第二子(次女)が25週・804gで誕生。NICUでの経験を通じ、同じ立場の家族がつながれる場をつくりたいと思い、Webサイトを発足。仕事は、福祉領域での会社経営や業界団体の運営等。
香川県出身。東京都在住。
株式会社mitsuki 代表取締役
一般社団法人全国同行援護事業所ネットワーク 代表理事
坂井 立 Ryu Sakai
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このサイトを作った理由
NICUは、関わりそうで関わりのない空間でした
NICUでは、同じような立場の家族とよくすれ違います。面会の時間も似てくるので、顔を見たことがある人も増えていきます。
でも、話すことはありません。
背の高さほどの低い壁で区切られた空間の中で、お互いの様子はなんとなく分かるけれど、声をかける雰囲気でもありません。廊下ですれ違って、軽く会釈をして終わるのが日常です。
正直なところ、不安はもちろんありましたが、私は比較的落ち着いて過ごしていました。そのため、近くにいる家族に「話しかけてみようかな」と思うこともありました。
でも、相手がどんな状況なのか分からない。とても大変な状況の人かもしれない。そう思うと、やっぱり声はかけられませんでした。
NICUは、近くにたくさんの家族がいるのに、どこか孤立しているような、不思議な空間でした。
もともと情報発信をするのが好きでした
私はこれまで、視覚障害者と関わる仕事をしてきました。その中で、必要な情報がなかなか届いていないことや、同じ経験をしている人同士がつながりにくいことを課題に感じる場面が何度もありました。
そこで、メディアの運営やイベントの開催など、情報を発信したり、人が集まる場をつくる活動を10年以上続けてきました。
NICUでも、もし親同士が少し話せる場所があったら、救われる人がいるのではないか。そんなことを思うようになりました。
病院に提案してみました
そこで子どもの誕生直後、病院へ投書をしました。
「NICUの親同士が少し話せる場を作れないでしょうか」
簡単なチラシの案や企画書も作って同封しました。面会の前後に少し話せるだけでも、安心する人がいるのではないかと思ったからです。
しかし返ってきた答えは、「病院の名前を使って行うことはできない」というものでした。院内でのチラシの掲示も難しいとのことでした。
「みなさんSNSなどで情報を取っているみたいです」と言われました。
それなら、自分たちで病院の外側でもつながれる場所は作れるかもしれない。そう思い、このサイトを始めました。
このサイトで書いていること
「NICU DAYS」では、NICUでの日々や、その後の暮らしを記録しています。
想像していた出産とは、少し違う時間を過ごした家族のこと。
早産や未熟児、長期入院、医療的ケア、退院後の暮らし。
そして、NICUから育った人たち自身の声。
医療的な情報を整理するサイトではなく、
当事者や家族の「経験」や「感情」を残していく場所として続けています。
読者へのメッセージ
NICUの経験は、本当に一人ひとり状況が違います。
生まれた週数や体重、病気の有無、手術の有無、その後の経過や成長のスピードも、それぞれです。
情報を探せば探すほど、「うちの子より小さく生まれている」「もっと大きく生まれている」「この手術をしている、していない」「この時期にこんなことをしている」
そんな違いばかりが目に入ることもあります。比べ始めると、きりがありません。それでも、どこかで通じるものはあると思っています。必要な言葉や感情は、その人の状況やタイミングによって違います。
このサイトには、そのときどきの出来事や気持ちを、そのまま残しています。その中に、それぞれのタイミングで響くものがあればうれしいです。
喉元にはいつも違う熱さがある
当事者として感じるのは、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉は、少し違うということです。
未熟児で生まれた日。
手術の日。
退院できるか分からなかった日。
時間が経てば、たしかに景色は変わっていきます。でも、熱さが消えるわけではありません。
子どもが成長するにつれて、
悩みや不安や、向き合うものが変わっていく。
だから今の気持ちは、今しか残せません。
このサイトは、その時々の熱さを記録していく場所でもあります。
広告などは一切なく、趣味のような形で続けています。そのため、ここに書かれていることが誰かにとって正しい答えになるとは限りません。
ただ、「自分の体験をありのまま残す」ことだけは自分たちの責任として続けていきたいと思っています。
その先で、これから同じような立場になるかもしれない誰かの小さな参考になればうれしいです。